11月に資料室が取り壊されました

以前、書いたように、11月末に資料室の取り壊しが行われました。
時間が経ってしまいましたが、その様子を少しご報告いたします。

11月20日、とてもよく晴れた日でした。

すっかり冬の景色となった新町。

いつも定点としていたこの場所で、取り壊しが始まります。

重機も来ています。

取り壊しは一気に行われるものかと想像していましたが、
畳をあげ、断熱材を撤去するなど、丁寧な分別が手作業で行われています。

なので、この日には外観にはそれほどの変化はありませんでした。

22日に寄ったときは、外壁の撤去が始まっていました。


それと並行して分別も行われています。
手間のかかる作業ですが、この積み重ねのおかげで
東松島市の震災瓦礫の処理は、進むのが速いのでしょう。

28日です。初日から一週間が経過しています。
とうとう取り壊しは資料室部分に進んでいました。

1階部分がコミュニティセンターで、2階北側に資料室がありました。
ぽっかりと現れているのが、資料室部分です。

コミュニティセンター部分はかなり撤去が進んでいます。

11月30日。

この写真ではわかりにくいのですが、ほとんどが取り壊されました。
手前に見えている構造物は、訪れたことのある方はわかると思うのですが
入口手前の水車です。

資料室があった場所は、野蒜築港工事の事務所が置かれたり
その後役場や小学校も建てられた、地域にとって意味のある場所です。
鳴瀬川河口で、海も目の前に広がる、景色のよい場所でもあります。
堤防が建てられたあとに、その立地を活用してもらえたらと希望します。

もし、新しい野蒜駅前に野蒜築港資料室が出来たとしても
あまりにも現地と離れてしまっています。市街地跡も恐らく見えないのではないでしょうか。

鳴瀬川河口には今でも釣り客やサーファーが訪れています。
今後、観光地として活かしていくことを考えても、
津波の危険があるときに避難できる場所の確保が必要となります。
先日も大きな地震があり、津波が来ました。
もし、今鳴瀬川河口にいたら、どこに逃げたらいいのでしょう。
土地勘のない人にはわからないと思います。

避難路の確保と並んで優先的に取り組むべきことでしょう。