2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

死なない。

明治29年7月12日、津浪発生からまもなく1ヶ月の頃に 「宅地改占」という記事があります。 (以下、記事は要約です) 漁夫たちがなるべく海に近ところに住むのは、日々の仕事に便利だからである。 しかし、いにしえの遠慮ある人々は、むしろ多少の不便を忍ん…

瓦礫の行方

震災から80日が経ちました。 昨日(5/29)は野蒜地区を通って鹿妻にむかいました。 東名運河沿いでは電信柱の建設が進んでいました。 もうすぐ資料室の近くまで到達しそうです。東名運河も漂流物がほとんど片付けられていました。 長音寺の屋根があった場所…

東松島西地区復興祭

ベガルタサポーター仲間からお酒の協力をもらい 東松島西地区復興祭に届けて来ました。あいにくの雨模様でしたが、大勢の人が集まって盛況でした。 ボランティアも相当の数がいました。 食べ物や日用品など多くのブースが並んでいます。 衣料や学用品などが…

復興祭

今週末、東松島市復興祭が行われるそうです。 場所は矢本ですが、石巻からも被災者を呼ぶようです。お酒の募集があるようなので、せめてそれだけでも届けに行きたいと思います。 - 追記 よく調べると東松島西地区復興祭なのですね。 企画の母体がボランティ…

バラバラさの受容

あるシンポジウムに行ってきました。その中で、震災直後のラジオ放送の話がでました。 ローカルのFM局の話です。放送の中でインフラの復旧などといった情報を流すときには、必ず 「地域によって復旧の進み方はさまざまです」 というような説明がつけられるよ…

女性視点の要請

奥羽日日新聞 明治29年7月2日に 「上流婦人の視察を希望す」という記事があります。 津浪が起きたのが6月15日なので、2週間を過ぎたころです。 大海嘯の被害以来、実地視察はたくさんきているのに、婦人の視察者がいないことが遺憾である。 ただし、旅行には…

大海嘯

日本列島は長い歴史の中、数多くの津浪を受けてきました。 野蒜築港が頓挫したおよそ10年後、明治29年にも大きな津浪が三陸を襲いました。野蒜はそのときどうだったのだろうか、と気になっていました。 気持ちを切り替えた暮らしに、津浪はどのような影響を…

披歴される意識

野蒜には直接は関係のない話です。先週末に行われたある学会の話を聞きました。 私が直接その場にいた訳ではないので、正確性は欠いています。「 災害時における栄養・食糧問題とその対策を考える」 といった内容のシンポジウムが行われたそうです。 緊急企…

河北新報の記事 宮戸 里浜貝塚

昨日(2011/05/14)の河北新報に宮戸島の里浜貝塚に関する記事が載っています。 「縄文人 安全性認識か 貝塚、津波直撃免れる 東松島」というタイトルで 里浜が宮戸島にある他の浜に比べて被害が小さかったこと、 それを認識して縄文人は里浜を選んで定住し…

2ヶ月 市街地跡

2011/05/09の撮影です。市街地跡、黒澤敬徳碑の辺りです。 折れながらも残る松の手前に、流された敬徳の碑が倒れています。もしかして木の根元にお地蔵さまがひっかかっていないかと 漂流物の下を覗いてみましたが、やはり流されてしまったようです。一様に…

2ヶ月

2ヶ月が経とうとしています。津浪による混沌とした風景は、随分と片付けが進んでいました。 以下全て2011/05/09の撮影です。 資料室の入口のこの位置には、家の2階だけが流れ着いていましたが 解体されたようです。 東名運河の水門です。 以前の写真と比較す…

浜市

鳴瀬川をはさんで、野蒜の対岸が浜市です。 新市街地跡に隣接する地域です。 野蒜に比べ平地が海側に広かったこともあり、 津浪は仙石線を越え国道45号線をも越えました。 多くの家が土台だけを残して壊れています。 (2011/04/04撮影) 浜市には「浜市ドヤ…

河北新報に記事

本日の河北新報に、野蒜築港跡の津波被害についての 記事が載っています。東松島市の津浪被害はとても大きいため、自治体としても、 こちらに手が回せるようになるには時間がかかるのではないかと想像しております。>どうやって流失した土台を探し、復元を…

私たちは我慢強いか

4月11日の河北新報の社説の中に以下のような文章がありました。「震災後、『東北の人は我慢強い』というコメントを幾度となく耳にした。 その多くは美徳として語られているのだが、少し違うのではないか」確かに、この約2カ月の間そのような言葉を再々目にし…

東名

野蒜の西、松島側が東名です。 鳴瀬川の河口から続く東名運河は、東名を抜けて松島湾に繋がります。東名には古くから塩田がありました。 享和2年(1802)に建てられたという東薺塩場の碑が如月庵に残っています。東名の如月庵の境内に仙台藩製塩業の功労者で…

野蒜と海 3

明治元年8月、榎本武揚や土方歳三らが乗った開陽丸が東名に着きました。 旧幕府軍は東名の浜で訓練を行ったといいます。 野蒜の人たちと旧幕府軍の邂逅です。 お祖父さんが一緒に北海道に行ったなどという話も聞くことができます。鰯山という野蒜海岸にある…