2011-01-01から1年間の記事一覧

2011 SENDAI光のページェント

ご存知の方も多いと思いますが、仙台恒例のイルミネーション、 光のページェントの電球も津波で流されました。 保管していた倉庫が津波にあったため全損だったそうです。開催が危ぶまれていましたが、12月初めから無事開催されました。 各地からお借りした電…

年の暮れ

小雪の舞う野蒜です。いつもの場所から見た景色に変化がありました。電柱が立っており、電気工事をしています。今、人の住んでいない新町に何故電気がというと 運河の水門を管理するためのようです。 そろそろ閉じたままの水門も開閉するのでしょうか。 吉田…

河北新報の記事

河北新報の特集記事に「3.11 記憶 あなたを忘れない」という連載があります。 震災で亡くなった方を綴るものです。 12月26日には野蒜築港ファンクラブ関連について載っています。

大塩

東松島市の仮設住宅もまた、他の地区同様に様々なところに建てられています。先日、大塩のグリーンタウンにある仮設住宅にお邪魔する機会がありました。いつも、野蒜方面へ行くと、足を延ばしても矢本くらいで 海の近くばかりをうろうろしていましたので 内…

仙石線

「最後の被災列車撤去完了 東松島・JR仙石線」 昨日の河北新報のニュース記事です。 野蒜と陸前小野駅の間に止まっていた列車、約9ヶ月残されていましたが とうとう撤去されました。少しずつ少しずつ進んでいます。

えんまん亭

先日、矢本方面に行く用事があり、こちらに寄りました。 えんまん亭です。もともと洲崎に店舗があり、津波で流されてしまいましたが 10月から矢本運動公園で営業を再開されています。 野蒜から少し離れてしまいましたが、野蒜からもたくさんの人が食べにでか…

11月末の野蒜

少しアップが遅くなりましたが、11月末の野蒜の様子です。 いつものように資料室から。 すっかり冬枯れというたたずまいになってきました。空には 渡り鳥も。 空は雨模様です。新町周辺は、家屋の解体が進み、更地が広がっています。 今もまた解体作業が行わ…

BIGNAMEのエトセトラ

震災後、被災地にはたくさんの建築家がきました。 建築家による復興支援ネットワークアーキエイドも立ちあがり 様々な地域で色々な形で、復興に協力しています。 すごい世界的ビッグネームが並んでいます。これは建築家たちの「何か力になりたい」という気持…

三国からの支援金

8月に福井県の三国湊で震災のチャリティーイベントがありました。 その折りに集まった支援金が、11月17日東松島市に届けられました。なんと午前3時に三国を発ったという三国港突堤ファンクラブの御一行は 全く疲れも見せずに野蒜を見学。その後、東松島市役…

線路

野蒜から矢本にむかう道中、矢本-小野間の線路の整備をしていました。 今年度中にこの範囲は運行が再開されるそうです。 これができるなら、高城から小野までの暫定の復旧もできそうに思いますが そう簡単なものではないのかもしれません。先日聞いた話では…

10月末

10月末の野蒜です。 いつものように、資料室からの風景。 もうすっかり秋が深まっている様相です。 すかすかになった松林の向こうに、ただ水面がキラキラと光っています。 セイタカアワダチソウだけが鮮やかです。 川沿いの工事は何やかやと進みます。 野蒜…

暮らしていくこと

野蒜海岸は人気の海水浴場です。 鳴瀬川に運ばれた砂が堆積して、美しい砂浜を作っています。鳴瀬川を渡った浜市地区の海岸線は風景が異なります。 運河沿いに漁船が並び漁港としての機能を持っています。東名では牡蠣の養殖は行われてはいますが、 野蒜とい…

帰ってくるフラッパーズ

宮城の女子サッカーについてのつぶやきを以前書きました。 かつて宮城にあったフラッパーズというチームが、 東京電力のマリーゼとなり、震災後は休部になっていました。 一時は川崎フロンターレに移管されるという噂も流れて、 もう東北には戻らないのかと…

野蒜駅前のトイレ

お話を伺ったところ、北赤崎に住む方が こまめに清掃をするということで、設置が決まったそうです。けっこう利用する方も多いとのこと。野蒜駅の二階にも、もうすぐ電気が通るようです。 仙石線の問題はなかなか難しいものですが、 一方で止まった時計、廃線…

日常の持続

10月に入り、緑が薄くなって枯草色になってきました。 (2011/10/04撮影) いつものように釣り客もいて、沖には大きな船が見えます。 9月には激しい台風が来ましたが、 白鬚神社付近の枝にひっかかった布などは、落ちなかったようです。 消防署には東北電力…

JRの移転(ニュースより)

河北新報の記事です。 「仙石線 東名、野蒜500メートル内陸へ JRと地元合意」やはり陸前大塚―陸前小野の間は移設で決定しました。 この決定により先に進む道筋ができたことは確かです。しかし、懸念は少なくありません。何よりも開通までに時間がかかる…

半年が過ぎて

半年が過ぎました。 9月14日に撮影しました。 いつもの場所から見る新町地区は、ほとんど先月から変わっていないように感じました。 でも、8月には草いきれにむせぶほどだった植物は すっかり柔らかな色になっていました。 まだ汗を拭いながらの道中ですが、…

仙台定禅寺ストリートジャズフェスティバル

恒例のジャズフェス、今年も開かれました。今年のテーマは「音楽の星・地球 〜ここから〜」。勾当台公園市民広場のステージには 気仙沼ジュニアジャズオーケストラ THE SWING DOLPHINS も登場しました。このバンドは、メンバーの子供たちも津波の被害を受け …

岩手沿岸

岩手の沿岸部を少しだけ歩く機会がありました。 本当にちょっとだけ通っただけでしたが。陸前高田から大船渡への辺りです。 小友地区や門野浜などを通りました。被災地は各地で様相は異なります。 でも同じ部分ももちろんあります。瓦礫が片付けられた場所は…

きのうの世界

「誰だって、どこに行ったとしても、昨日までの知識と経験以外頼りにできるものはない。 いきなり明日から新たな世界が始まるなんて幻想なんだ」恩田陸の『きのうの世界』の中の一文です。 この小説の中で舞台となる小さな町には、いつか訪れる天災への備え…

三国の街

みちのく丸が三国を出港した8月6日 三国の街を散策しました。 北前船で栄えた当時の雰囲気を残す、素敵な街で 次回はもっとゆっくり訪れてみたいところです。この建物は旧森田銀行。 廻船業から銀行へと業態変更した豪商森田家が始めた銀行です。 そんな三国…

5ヶ月

お盆を前に、5ヶ月を迎えました。 資料室は変わりなく立っています。 横にある水門を管理する施設には、工事の車が来ていました。 資料室からの風景。 先月とあまり変わらないように見えます。 ただ、緑は一層濃くなりました。 白鬚神社の狛犬も草の中。砂浜…

仙台七夕祭

震災直後は開催が危ぶまれた仙台七夕祭ですが、例年通りに行われました。 予想より人手もあり、いつも通りではありましたが、 今年は「願い事」「祈り」の要素が濃い飾りつけが多く見られました。 もともと七夕は「祈りの祭」である訳なのですが 商店街のお…

三国湊でチャリティーイベント

野蒜築港が行われた明治初期、ほぼ同時に他の地域でも築港が行われました。 福井県の三国湊と熊本県の三角港です。同時期であるとともに、これらの全てでオランダ人が関与しているという特徴を持っています。 野蒜は国の事業で行われたのに対し、三国と三角…

新市街地

視察に同行させていただいて、新市街地に行ってきました。 天気は良かったものの、台風の影響で波は高い日でした。 日曜日だったためか、この日も釣り客が目立ちました。 津波で散逸した野蒜築港に関する品々は、 東松島市の学芸員の方により中央公園跡にま…

7月の仙台空港

所要があって仙台空港を利用しました。 ここから飛ぶのは3月9日以来です。4月にこのような状態だった貞山堀周辺は すっかり何もなくなって、緑が繁茂していました。 住宅と畑だった場所は 僅かに舗装のあとに、その痕跡が残っています。 このように何もなく…

サッカーと宮城

女子W杯優勝おめでとうございます。 試合が見られなかったのは痛恨でしたが、朝から興奮するニュースでした。宮城県は女子サッカーが強いところです。 1992年に初めて行われた、全日本高等学校女子サッカー選手権大会の優勝校は 仙台にある聖和学園高等学校…

7月8日 東名。

東名も随分と瓦礫の撤去が進みました。 線路も取り除かれて、駅の周りも片付いています。 相変わらず水は引きませんが 手前のあたりが綺麗に片づけられたのはわかります。 運河沿いも。跨線橋の横では牡蠣の養殖の準備?が行われていました。 4ヶ月がたって…

7月8日の野蒜。 (2)

東名運河は端然とあり、水面だけを見ていると震災前に戻ったような気分に混乱を覚えます。 長音寺の墓地では、墓石が建てなおされてきています。先日写真を載せた針生稲荷の社殿が移動していました。 1ヶ月前は瓦礫の中に立っていましたが、すっかり片付け…

7月8日の野蒜。 (1)

4ヶ月を目前にした先週の野蒜の様子です。梅雨明けはまだで、どんよりと曇っていましたが風もなく暑い日。 海岸にはサーファーが。 恐らく、砂浜の清掃をしていた人たちです。 突堤には釣り人の姿もありました。 そのむこうに見えるのが、牡鹿半島と金華山。…