バラバラさの受容

あるシンポジウムに行ってきました。

その中で、震災直後のラジオ放送の話がでました。
ローカルのFM局の話です。

放送の中でインフラの復旧などといった情報を流すときには、必ず
「地域によって復旧の進み方はさまざまです」
というような説明がつけられるようになったということでした。

それは放送局のカバーする範囲の中においても、被災の程度の差があまりに大きく
必要に迫れられての結果だったそうです。
通常ラジオは、聴き手に「あなた」と語りかけます。
その「あなた」が破れ、「バラバラさ」がたち表れたわけです。

そのような「バラバラさ」というのは、この震災をきっかけに
「日本」という国においても露出しています。
今日のシンポジウムでも、東京と仙台の時間の流れの違いとか
震災報道に対する違和感といったものも話題にあがっていました。

「バラバラさ」をどう受け止めるのか。

緊急の措置としてラジオ局の取り組みが、例えその一文を付け加えるだけであったとしても
何か対応したいという気持ちが滲んでいただろうと思います。

こういったことが出来るのは、
やはりローカル局であり、地方紙であり、地域誌なんだろうなと
思いながら聴いていました。