女性視点の要請
奥羽日日新聞 明治29年7月2日に
「上流婦人の視察を希望す」という記事があります。
津浪が起きたのが6月15日なので、2週間を過ぎたころです。
大海嘯の被害以来、実地視察はたくさんきているのに、婦人の視察者がいないことが遺憾である。
ただし、旅行には少なくない費用が必要であるから、上流婦人(文武高等官の婦人、銀行の重役
豪商紳士等の婦人諸君)にこれを望む
それは、婦人の視点は鋭くて緻密であり、男子には思いつかないことに気づくことが
できるからである。
記事はこのようなことを言っています。
もちろん、ここで期待されているらしき婦人の視点とは、現在想像することとは違っていて
少女に花かんざしを送るとか、温かなる婦人の手よりひと匙のコンデンスミルクを与えられれば
恋しい母親に再会した思いをするだろう、といった、「母性」のようではあります。
だとしても、女性の視点の不在という問題は重要な指摘です。
4月13日の河北新報には「避難所生活長期化 女性困った 女性記者が現状ルポ 」という記事が載りました。
着替える場所やトイレの問題など、避難所における女性への配慮の必要がとりあげられています。
さかのぼれば神戸の震災においても同様な問題があったようです。
何故、過去が活かされないのか、われわれは、そもそも進歩しようという
努力すらしてこなかったのではないか。
(もちろん努力してこられた人たちがいたことは理解していますが)
堆積された知見を活かすことは、後から生まれたものに与えられた特権だと思います。
いま、そして、これから、何を残すのか。
築港後の時代、当時の人々がどのように津浪に相対したのか
それを記事は教えてくれます。