きのうの世界

「誰だって、どこに行ったとしても、昨日までの知識と経験以外頼りにできるものはない。
 いきなり明日から新たな世界が始まるなんて幻想なんだ」

恩田陸の『きのうの世界』の中の一文です。
この小説の中で舞台となる小さな町には、いつか訪れる天災への備えが
人の記憶を越えて行われています。
ほとんど誰もが忘れてしまっているけれど、守られてきたもの。
有事のときに街を守るしかけがあり、そこに人が手を入れないために塔をつくり
もっともらしい神事のようなものを行います。

これは勿論フィクションです。
でも、民俗とは、元来そういう要素を持ち合わせたものではないだろうかと思います。
山や海、川で獲り過ぎを防ぐような伝承、水辺などの危険を子供に諭す民話…
真っ向からの禁止ではなく、物語を伴って、
遠い未来の光景を守ろうとしています。

それは古臭い世界の保守のように勘違いされがちかもしれませんが、
常に新たな知識と知恵に敏感に行われてきたことがらです。

先日の新聞で、ピロティを持つ住宅が津波に耐えた記事がありました。
私の中でピロティは地震に弱そうな勝手なイメージがありましたが、
きちんと構造を満たせばそんなことはないわけです。今回の地震で実証されていることになります。
また、雑誌で伊東豊雄氏が対談を行っていて、グラデーションを持った土地の利用という話をしていました。
高台への移転といっても、地形によって本当に困難な場所があります。
高台と水辺を繋ぐグラデーションが、新たな形で構築されるのかもしれません。
新たな知識、新たな経験、新たな知恵ではありますが
遠い未来に対しては、出発地点であり、既に昨日のものになるわけです。

「徒労なのだろうか。こんなことをする必要があるのだろうか。無駄なことをしているのだろうか。
 そこまでして、守らなければならないものなのだろうか。
 
 だが、続いていく、とはそういうことなのだ。」

未来に対して、新たな物語を残す、その責任を感じます。