暮らしていくこと

野蒜海岸は人気の海水浴場です。
鳴瀬川に運ばれた砂が堆積して、美しい砂浜を作っています。

鳴瀬川を渡った浜市地区の海岸線は風景が異なります。
運河沿いに漁船が並び漁港としての機能を持っています。

東名では牡蠣の養殖は行われてはいますが、
野蒜という地区の海岸沿いは、漁業主体の街ではありませんでした。
そして農業が主体でもありません。

野蒜には主要産業がないと言えるように思います。
今、一番の問題は、そのあたりにあるように感じています。

個人の店を失った人、企業から首を切られた人、企業そのものがなくなった人など形は様々ですが
震災で多くの人が仕事を失いました。
確かに今は義損金などで生活を続けていけるかもしれませんが
先は全く見えていません。そのストレスがなによりも大きいと、聞くことがたびたびあります。

見渡すと、例えば石巻や、気仙沼、名取の閖上など
大きな被害を受けても立ちあがろうとする勢いを感じる街がたくさんあります。
(詳しいことを知っている訳ではないので、あくまで印象ですが)
そういった街は、漁港という特徴がはっきりしたところのような気がします。
これが街の根幹だというものがあるのかもしれません。

残念ながら、野蒜では、そういった動きは控えめなようです。
それでもなんとかしたいと考えている人たちもいます。
しかし、自治体の明確なビジョンがなかったり、協力者がいなかったり
そして先立つものがなかったり、と、踏み出せないでいるのが現状のようです。

どのようなことが可能か。
何がいいのか。
簡単なことではありません。
でも、今まさに岐路なのだと思います。
先祖伝来の土地であっても、仕事がなくては生きていけません。
そういった言葉は、明治三陸津浪のときの新聞にも見られますし
まさに今聞ける言葉でもあるのです。

野蒜築港が去ったあと、東名には塩田が出来ました。
今度は何が可能でしょうか。

野蒜に縁のある方々に知恵や力を今こそ出してほしい
震災後、7ヶ月を経て、今一番強く思います。
どうぞ、お願いします。