新市街地
野蒜築港は日本で初めての近代港湾の建設プロジェクトでした。
このプロジェクトでは港の建設だけではなく、港の後背地として河口に新市街地が計画されました。
市街地には下水道が整備され電線が架設され、近代的な街並が目指されました。
埋立地である新市街地へは三本の橋がかけられました。
その橋台の表面はレンガで覆われた美しいもので、現在でも見ることができます。
既に数々の台風や津波を経たもので、場所によって保存状態は異なっています。
以下が震災後の様子です。写真は後藤光亀氏、後藤浩佳氏によるものです。
電柱が倒れ、乗っています。
新たな破損が見られます。
日本でレンガが製造されるようになったのは近世末期と言われています。
お雇い外国人の指導もあり、明治に入り多くのレンガによる建造物が造られるようになりました。
野蒜築港で使われたレンガは、他地域で製造されたものが運ばれたようですが
レンガ職人植木留吉が招かれ、宮城でも製造が行われたと言われています。
その他にも明治14年にレンガ製造職工見習いが東京へ派遣されることが新聞記事になっています。
明治15年の突堤落成式では新市街地は完成していました。
北海道庁旧本庁舎が明治21年、横浜赤レンガ倉庫は明治44年の築です。
小さなものではありますが、貴重な遺構です。
植木留吉のレンガ工場は広瀬川のほとりにあり、明治22年に豪雨による増水で流されたといいます。
改めて水の怖さを思わずにはいられません。