余景の松原
「自然の中に生きた者は自然と格闘しつつ第二次自然を作り上げていった」
『日本人と自然』の冒頭で宮本常一が書いています。
(『自然と日本人』宮本常一 未來社 2009 ※この文章の初出は昭和48)
「海岸につづく松原なども、自然に生えた木はほとんどない」
日本中の海岸線に美しい松林が広がっています。
仙台の内陸からも高いところからは、沿岸の松林が見えます。
はるか遠いその位置からも、松林がところどころ消えていることがわかります。
野蒜には余景の松原と呼ばれる風景がありました。
新町2の記事でも少し触れました。
東松島市の西隣は松島町です。世に名高い松島ですが、
松島の景観から余った松原という意味で仙台藩の4代藩主綱村が
「余景の松原」と命名したと言われています。
『日本人と自然』の中から引用を続けます。
「海岸地方に住む者はこれを海岸近くに植えて防砂・防潮・防風に利用した。
海浜の松原はそうした人間の努力によって生まれたものである」
「砂浜に松を植えることがどれほど労苦の多いものであったかは、
今日なお植林のおこなわれている海浜をおとずれてみるとよくわかる」
野蒜は貧しい村だったといいます。
昔から冷害、水害、そして塩害に悩まされていました。
余景の松原もそのような中で作られた風景であったろうと思います。
(2011/04/04撮影)
松たちは、人々がここに暮らしてきた1つの姿でした。
今は流されてしまいましたが、いずれかまた風景は作られていくのでしょう。
宮本常一は述べています。
「よその者だけが来て楽しむと、そういう風景であってはならないと思う。
実はその風景自体を皆さん方自身が楽しむ風景にしていただきたいのです。
自分たちのものであるのです。
自分たちのものであって他の人たちも仲間にいれてやろうかというようなところで
初めて風景の自主性というものが、生まれてくるのではなかろうかと考えます。
それが良い風景を創り出すことになるのではないか、と考えるのです。
そしてしかも、そういうものが実ったときに、
われわれの生活も豊かになるのではなかろうかと考えます。」