東名

野蒜の西、松島側が東名です。

鳴瀬川の河口から続く東名運河は、東名を抜けて松島湾に繋がります。

東名には古くから塩田がありました。
享和2年(1802)に建てられたという東薺塩場の碑が如月庵に残っています。

東名の如月庵の境内に仙台藩製塩業の功労者である伊藤信茂に関する資料と、
東名塩田開発者の奈良和元直の功業をたたえた「東薺塩場の碑」が建っている。
この碑は、享和2年(1802)元直の子元平によって立てられたとある。
碑によれば、安永7年(1778)元直が藩命を奉じてはじめて東薺浜に塩場を開いたとある。
そして当時の東名の様子や奈良和氏の先祖(初代信茂 長州出身)が
代々製塩をもって仙台藩に仕えていたことなど克明に記されている。
東松島観光物産協会HPより)

野蒜築港がついえた後には、新たな塩田が作られました。
亀岡塩田です。

     (亀岡塩田増墾碑 貞山運河辞典HPより)

東名運河を開鑿した、その土地はここに住む人々の農地でした。

左は運河開鑿にあたって買い上げた土地を示した当時の資料(一部)です。
多くの人々が田を手放したことがわかります。

多くの耕田を失った亀岡を救うために塩田が作られたと碑には記されています。

土地を売った人々は、多くの現金を手にしました。
土木景気とあいまって、派手な生活をした人もいたといいます。
もともと質素だった野蒜の契約講でも
お酒が出るようになったそうです。

祭の後、契約講ではお酒は御法度になりました。
土地を失った人々は生活に直面せざるを得なかったでしょう。

東名も津浪により、大きな被害を受けました。

                 (2011/04/22 撮影)
度々報道された東名駅の様子です。横の桜が咲いています。


                 (2011/04/22 撮影)
東名駅を撮影した跨線橋からその先を見た様子です。
まるで海のような水面が見えますが、
上の地図を見るとわかるように、この先はずっと陸地だったのです。


                 (2011/04/22 撮影)
東名運河沿いから同じ方向を見ています。

震災前の付近の画像です。

                (googleストリートビューより)

宮城県は牡蠣の養殖が盛んなところです。
東名浜もとても美味しい牡蠣がとれます。
牡蠣むき工場が並んでいて、そこで買って頂いたこともありました。

焼き牡蠣が一般には人気のようですが
「殻ごとラップでくるんでレンジでチンが一番!」
と教わりました。
汁が溢れて美味しい美味しい牡蠣です。