野蒜と海 3

明治元年8月、榎本武揚土方歳三らが乗った開陽丸が東名に着きました。
旧幕府軍は東名の浜で訓練を行ったといいます。
野蒜の人たちと旧幕府軍の邂逅です。
お祖父さんが一緒に北海道に行ったなどという話も聞くことができます。

鰯山という野蒜海岸にある小さな岩山には、千人洞とよばれる洞窟がありました。
その中に旧幕府軍の刀が散らばっていたという話もあります。

海には様々な人々が行きかっていました。

野蒜の村社白鬚神社は鳴瀬川の河口にあります。


               (白鬚神社HPより)

この写真からもわかるように、鳥居は海辺にたてられています。

海側から入り、

                 (2011/04/22撮影)
その先の小さな岩山の裾に社殿がありました。

由緒によると、現在の地に遷座したのは400年ほど前とのこと。
かつてはもっと鳥居近くまで波が打ち寄せていたのではと想像されます。

白鬚神社は水に関わる神様であることが多いと思います。
鳴瀬川石巻、塩釜へと盛んな舟運に、水上の安全を願ったのでしょう。

神社のすぐ近くには石碑が残っていました。嘉永元年(1848)の建立です。

                 (2011/04/22撮影)
この碑はもっと縦に大きいもので「八大龍王」と彫られていたようです。
上の部分が津波で折れてしまったのだと思われます。
これもまた海難防除のためのものと言われています。

古くから野蒜に住むある家では、お盆のお墓参りの際に不老山の上へ登り、
海にむかって松明を投げて海難者の霊を弔ったとも聞きます。



                 (2011/04/22撮影)

白鬚神社の奥の岩山には椿が咲いていました。


                 (2011/04/22撮影)

                 (2011/04/22撮影)
海にむかう岩肌に生える椿の木、それは青森の深浦や夏泊を始めとする
岬に見られる椿を彷彿とさせます。
宮城県でも唐桑半島などで有名です。


ここは岬ではありませんが、鳥居近くまで波が打ち寄せていたと想像すると
この岩山は河口の大事な目印であり、船で行く人々にとって
拠りどころとなる場所であったのかもしれないと思われます。


                 (2011/04/22撮影)