大海嘯

日本列島は長い歴史の中、数多くの津浪を受けてきました。
野蒜築港が頓挫したおよそ10年後、明治29年にも大きな津浪が三陸を襲いました。

野蒜はそのときどうだったのだろうか、と気になっていました。
気持ちを切り替えた暮らしに、津浪はどのような影響を与えたのか。

調べてみると、このときの津浪では、野蒜あたりには余り被害はなく
酷かったのは青森、岩手県沿岸部から宮城県の女川あたりまでだったようです。
津浪の余波は亘理や、北海道、遠くはハワイなどにも及んだようですが
大きな被害をもたらすものではなかったらしいです。
津浪発生の原因となった範囲が狭かったのかもしれません。
今回の地震の巨大さがわかるように思います。

このときの津浪も被害は甚大で、宮城県下では死者3452名
青森県下では343名、そして岩手県下では22565名となっています。

数多く襲った津浪の1つではありますが、当時の新聞の記事を少し眺めています。