明治29年三陸津浪

神社・仏閣

南三陸町出身の山内さんのブログに 被災を免れた神社の話が出ていました。5月31日の「死なない」で名族旧家が高台に家を持っているという記事を紹介しましたが その記事の続きには「神社仏閣」という項もあります。 「神社仏閣」 神社仏閣もまた難を逃れたも…

記憶/記録/想起

明治29年7月4日の新聞では志津川で聞いた話として 安政3年に起きた津浪について次のように触れられています。 志津川には度々津波があるが、特に41年前7月23日(安政3年)の津浪の水かさは 今回のものよりも高く、これを10とすれば今回は7の水である。 ただ…

死なない。

明治29年7月12日、津浪発生からまもなく1ヶ月の頃に 「宅地改占」という記事があります。 (以下、記事は要約です) 漁夫たちがなるべく海に近ところに住むのは、日々の仕事に便利だからである。 しかし、いにしえの遠慮ある人々は、むしろ多少の不便を忍ん…

女性視点の要請

奥羽日日新聞 明治29年7月2日に 「上流婦人の視察を希望す」という記事があります。 津浪が起きたのが6月15日なので、2週間を過ぎたころです。 大海嘯の被害以来、実地視察はたくさんきているのに、婦人の視察者がいないことが遺憾である。 ただし、旅行には…

大海嘯

日本列島は長い歴史の中、数多くの津浪を受けてきました。 野蒜築港が頓挫したおよそ10年後、明治29年にも大きな津浪が三陸を襲いました。野蒜はそのときどうだったのだろうか、と気になっていました。 気持ちを切り替えた暮らしに、津浪はどのような影響を…