瓦礫の行方

震災から80日が経ちました。
昨日(5/29)は野蒜地区を通って鹿妻にむかいました。
東名運河沿いでは電信柱の建設が進んでいました。

もうすぐ資料室の近くまで到達しそうです。

東名運河も漂流物がほとんど片付けられていました。

長音寺の屋根があった場所です。
撤去のための土台だけがその場所を示しています。

web上で、野蒜地区は津浪直後と変わっていないというような文言をたまに見ることがありますが
決してそんなことはなく、場所により濃淡はあるものの進んでいることがわかります。

電信柱の建設は洲崎の方でも進んでいました。
洲崎には奥松島運動公園があります。
そこには廃棄物が集められています。

大量の冷蔵庫。

そして瓦礫。片付けが進めばそれだけ行方を求める瓦礫も増えます。

ここは廃棄物処理施設を作るという話が出た、その場所です。

「松島」に処理施設を作るという、この話はさすがに波紋を呼びました。
検索すると、民主党議員のブログの記事が出て来ました。
特別名勝松島」のかわりに利府の砕石処分場を用意したとのこと。

適当な場所が見つかったのならば、それは良かったと思います。
しかし一方で、このような動きは「特別名勝松島」だからなのか、などと勘繰ってしまいます。
この議員さんは、奥松島のことをどのくらい知っているのだろうか
「あの松島」に処分場だと、というような短絡的な反応ではないのか、などと。

松島運動公園の位置です。
この写真からも周囲の状況が推察できると思います。

ここに処理場を置かないことは、かつてのような風光明媚な観光地に戻しますよ
という意気込みの表れととることができます。
しかし、宮城県も処理が終われば施設は撤去すると言っていました。
処理速度や負荷のかけ方などに差があるのかもしれませんが、
「松島」を巡る部分についての違いは何なのでしょうか。

雨に煙る日曜日も、黙々と片付けは続けられています。


まだ漂着物が転がっている鳴瀬川沿いの田圃のむこうには
止まったままの仙石線が見えます。

仙石線は5月28日、松島町の高城駅までの運転を再開しました。
東名駅では歪んで捻じれていた線路の撤去が行われたようです。