死なない。

明治29年7月12日、津浪発生からまもなく1ヶ月の頃に
「宅地改占」という記事があります。
(以下、記事は要約です)

  漁夫たちがなるべく海に近ところに住むのは、日々の仕事に便利だからである。
  しかし、いにしえの遠慮ある人々は、むしろ多少の不便を忍んでも、
  まさかのときの被災を免れるような場所を選んで居を構えた。
  目の前の小さな不便に耐えられずに将来の大損害を忘却してしまうのは
  個人として愚かであるだけではなく、国全体のためにも不忠なものと言える。
  故に、罹災者が新たに家を建てる場合には、必ず高台の土地を選んで
  再び惨害にあわないような準備をすることが必要だ。
  行政当局者もこれを勧奨し、かつこれを保護するべし。

ここで出てくる、高台を選んだいにしえの人々とは誰か?
その人々については、その前に触れられています。

  「名族旧家」
  津浪のために家屋を流されてしまったのは、全て海岸に近接している家々であり
  小高い位地に住む者はほとんど災害を免れている。
  しかも旧家名族の家は大抵海を離れた丘陵の上にあって、海の近くに住んでいるのは庶民か
  または最近成り上がったものに多い。
  海浜地方のことわざに「砂の上に家を作るなかれ」と言うといい、
  災害を未然に免れるための格言である。
  唐桑村鈴木禎治氏の祖先は葛西家の浪人で、同家が滅びた後ここに居を構えたものであるという。
  その宅地は古舘という丘の上にあり、周りの集落がみな津浪の被害を受けている中
  無事に難を逃れ、多くの人の救助にあたっている。
  地方の旧家名族にこのような例はとても多い。古人が居を選ぶときに注意深遠であった一端を窺うべきである。

記事を読むにあたっては「日付のある判断」が求められます。
それでも高台への移住が論じられる、その必要は充分にわかるものだと思います。
110年前には不便だったことに、今なら対応することができるような気がします。

建築を専門とする人に、建物に求められる最低限の安全性とは
「死なない」ということだと聞いたことがあります。
とにかく死なない。
亀裂が入っても、傾いても、また修理したり建てなおせばよいということです。

今回、地震そのものでは、その強さにも関わらず相当これが実現していたと思います。
もちろん、地震の振動周期などの幸運もあったのかもしれません。
それでも地道に耐震補強を行ってきた成果は、確実にあったはずです。

仙台南郵便局です。
こんなに潰れたけれど、人は死にませんでした。
地震による被害はあまり報道されていませんが、
このように取り壊されていく建物はたくさんあります。

「誰も死ななければ、この津浪もすごい経験と思えたかも」
と、松川さんは言っていました。

この明治の新聞記事には、居住地域の階層性が現われています。
もれなく移住する、ということの意味が想われます。

放射性物質飛散の問題で、広い範囲で避難を呼びかける人たちがいます。
その気持ちは伝わります。
しかし、そこでまた縮退が解けて現われる階層性というものを、置き去りにはしたくないのです。

誰もが死なない、そのために出来ることという選択肢は、どの場面にも提示しうるのだと私は思います。