被服廠跡

思い立って被服廠跡(東京都慰霊堂と復興記念館)へ行ってきました。

大正12年関東大震災のとき、ここには公園予定地の大きな空き地があり、
周辺一帯の大勢の人々が逃げ込みましたが、
その後火災が発生し、逃げ場をなくして多くの人々が亡くなった場所です。
その数は3万8千人とも言われ、関東大震災による死者のかなりの割合を占めています。

ここには伊東忠太設計の慰霊堂

また復興記念館が建てられています。

記念館では写真や絵画、火災によって焼けた様々な品が展示されていました。


外には大きなものが展示されています。

恐らく運営は色々と大変なのだろうと推察します。

でも、展示方法そのものが昔に取り残されたような雰囲気で
震災も、過去に隔絶されたもののように感じられました。
東京に住む人々はいずれやってくる地震については、相応に敏感さを持っているはずですが
一方高層マンションに囲まれたこの公園は、ただ長閑な昼下がりを纏っていました。

伝えていくこと、受け継いでいくこと、継続していくことの難しさを目の当たりにした気持ちでした。