22年ぶりのお潮垢離神事

4月21日に、東松島市浜市海岸で、旧宮崎町(現加美町熊野神社のお潮垢離神事が行われました。
浜降り神事とも呼ばれるこの行事は、20年おきに、
加美町から鳴瀬川を沿って浜市の浜辺にご神体が降りてくるものです。

これは、今から約700年前、宮崎町に熊野神社勧進したとき、
紀州からの船が漂流してしまい、流されたご神体を浜市の漁師が拾ったことから
始まったと言われています。
旧暦の三月に御神体が漂着した浜市の海でご神体を洗い清めるという行事です。
(因みにこのような浜降り神事は宮城、福島、茨城など東北の太平洋側に多くみられます)

本来2011年の4月に第32回目が予定されていましたが、震災のため延期されていました。
関係者に津波による犠牲者もあり、更に浜市地区自体が大きな被害を受け、集落が消えています。
今後の開催がどうなるか、と危惧していましたが
各方面のご努力により今年4月21日に開催となりました。

当日はまさかの雪!

寒い上に足元もぬかるんで、氏子さんたちも大変そうでした。

震災の影響もあり、海岸より少し鳴瀬川に入った場所が会場となりました。
ご神体を載せたお神輿が安置されます。

宮崎町の方々、浜市の方々、その他メディアや研究者などの姿もあり
かなり大勢の見物客が取り囲んでいます。

祝詞などをあげた後、お潮垢離です。

これまでと少しやり方が違うそうですが
今回は宮司さんが海に入ります。

その後、獅子舞が奉納されました。

最後に加美町の町長さんがご挨拶していました。
「あの3月11日も雪が降りました。あの日を忘れてはいけないという天気なのだと思います」
というようなことを話しておられました。


小さな子供たちも来ていました。次回の担い手かもしれません。

[野蒜の様子]野蒜築港ファンクラブの再開

お伝えしていたように、4月13日に野蒜築港ファンクラブ総会が開催されました。

総会の後には、東北大学の後藤先生による講演がありました。

運河のある町を、今後どのようにしていくか、
地元もしっかりと考えをもたなければいけないというお話でした。

とてもたくさんの方に参加していただきました。

その後は懇親会です。

思い起こすと、第10回定期総会は2010年6月12日でした。
個人的には子供が産まれて9ヶ月たって、ようやく久しぶりに参加できた総会でした。
かんぽの宿での懇親会をよく覚えています。

あれから3年近くがたって、また懐かしい方たちとお会いできました。

でも、実は少し顔ぶれが違っていて、それはまだこれからなのだろうと思います。

牡蠣などの差し入れもありました!

すごい迫力です!

牡蠣を洗う機械が、震災で壊れてしまったため、手作業で洗います。

私はぬくぬく中で飲んでました…。外で先生方が洗っていたというのに…。


すりおろしているのは、わさび大根です。
初めて食べましたが、辛すぎないわさびのような、とても美味しい薬味です。
こちらは登米の方からの差し入れでした。

野蒜築港資料室も、今はまだ目途はたっていませんが
ファンクラブが再開されたことで、少しずつ進んでいくものと思います。

(このブログはファンクラブ分室ということでやってきました。
 ファンクラブが再開されるまでと考えていましたが、もう少し続けていこうと思います。)

野蒜築港ファンクラブの再開!

震災から2年、活動休止状態を取らざるを得なかった野蒜築港ファンクラブですが

4月13日(土)に再開されることになりました!

事務局長の松川さんのご尽力によるものです。

今回はファンクラブ会員である東北大学の後藤先生による講演

「野蒜築港跡と運河群の再生に向けて」

が一般公開で行われます。

講演会: 15:10〜16:10 於:野蒜市民センター

後藤先生は、震災前から野蒜築港跡と運河群について
調査研究や情報発信などを精力的に行ってきた方です。

震災後もいち早く現地に入られて、今後の在り方についても問いかけていらっしゃいます。

是非、ご参加ください!

春の気配

2年がたちました。


この場所から写真が撮れるのはいつまでになるでしょうか。

鳴瀬川沿いでは堤防工事が進んでいます。

それに伴って、川沿いの道は通行止めになっています。

川上方面に向かうには野蒜小学校の横を迂回します。

知らずに来たらしき車に、案内の人が
「7月まで」
と言っていたのが聞こえました。

ただ、この図では、資料室のあった辺りは含まれていませんね。


海は今日も荒い波。

これが宮戸島の里浜へ行くと


これほど穏やかに静かな海になります。

運河を掘ることや、潜ヶ浦に碇泊する意味が実感としてわかります。

彼岸に入り、春の気配も濃厚になっていました。

椿も少し咲いていました。

宮戸の縄文村ではげんちゃんハウスが営業しているということを知り

さっそくお昼ごはんをいただいてきました。


しらうおの天ぷら。海苔の佃煮などの小鉢もついています。
私の腕のせいで写真は酷いですが、とても美味しかったです!


今は春告魚(メバル)の煮つけもあるそうです。

まさに春、です。

雑誌『奥松島物語』を創刊しました

ここでもずっとお伝えしているように、野蒜を含む旧鳴瀬町津波の甚大な被害を受けました。
野蒜築港の一番の舞台となった、野蒜新町や浜市地区などは
いまやほとんどひとけのない、平らな土地となっています。

野蒜築港の記憶の薄らぎを勉強してきた私としては
この、街や人が消えた場所に関する記憶の行方が不安でした。
そして、それはそのまま、新たな街の創建にも繋がることだと思うのです。

そのような思いがあって、今回
野蒜築港ファンクラブの松川さんと一緒に雑誌を立ち上げました。

鳴瀬町を舞台とした小さな小さな地域雑誌です。

でも、様々な方の多大なご協力のおかげで、
なかなか読みごたえのあるものになったと思います。

[エッセー]奥松島と私 佐伯一麦
[鼎談]記憶の根っこを植え直す 赤坂憲雄×松川清子×西脇千瀬
 海辺のいのちを訪ねて 永幡嘉之
 奥松島入門 松川清子
 故郷探訪アルバム 相沢正二郎 
 小野・野蒜・宮戸イラスト日記帳 下河原幸恵
聞き書き]辺見清二・石森さと子・佐藤康男・遠藤惣之助

今回は、野蒜地区のことを多くとりあげましたが
次号以降は、宮戸、小野と順番に特集していきたいと考えています。

この雑誌は小さな雑誌ですが、地域に閉じたものではなくて
旧鳴瀬地域に思いを持つ人たち全てに開いていきたいと思っています。

生まれ育った方、今住む方、かつて住んでいた方、旅行やレジャー、仕事で訪れた方
そして、ボランティア等で来た方など、
あらゆる方から、この地域の思い出や記憶などの思いをお聞きしたい、残したいと考えています。

もし、お話を聞かせていただける方などいらっしゃいましたら
ご連絡いただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。

立春を過ぎて

春の気配が、かすかに感じられる季節になりました。

いつもの場所から。

来年度になると、工事が進んで
ここから写真が撮れなくなるかもしれませんね。


とうとう、野蒜市民センターや東松島市役所野蒜支所が入っていた
建物の取り壊しが始まっていました。
奥にある白い建物が野蒜駅です。

この辺りは建物の取り壊しが進み、写真のように
何もない原っぱに市民センターだけが残っていました。
震災前までは農協の建物や警察、まるみつなど
色々な施設のあった場所です。


市民センターでは、野蒜築港ファンクラブの集まりもありました。

これで、野蒜駅前から海までの道沿いに、何も建物がなくなることになります。

一方で、野蒜小学校の裏手では、工事が進んでいます。



高台の住宅地を造成する工事です。


道を挟んで工事は行われています。
今回の写真は全て北側の様子です。

東名でも同じような工事が行われているのだと思います。

工事が目に見えて進んでいると、この上に家が出来るのだという実感がわきますね。